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子どものための哲学教育研究所  Japanese Institute of Philosophical Education for Children
 

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  2010年6月14日~
土屋陽介
 ハワイp4cスタディーズツアー報告(連載コラム) 
              

   目次

    1    ワイキキ小学校におけるp4c授業
    1.1  4年生のクラスでのp4c
    1.2  6年生のクラスでのp4c
    1.3  2年生のクラスでのp4c
    1.4  ワイキキ小学校の先生方との意見交換会
    2    カイルア高校におけるp4c授業
    2.1  1年生と3年生のクラスでのp4c
    2.2  カイルア高校の先生方との意見交換会

1.3 2年生のクラスでのp4c

 2年生のクラスでは、いかにも低学年らしいかわいらしい子どもたちが「勇敢とは何か?」という問いをめぐって対話を繰り広げた。この問いは先生から提示されたものであるが、それは、クラスメイトのカズヒコくんが近日中に手術を受けるからという理由であった(参加者の意見を聞かずに先生がトピックを提示していたのは、ワイキキ小学校でわれわれが見学した中ではこの回のp4cだけであった)。低学年の子どもたちであっても、発言の際には物怖じせずに堂々と自分の意見が言え、また他の人の話もちゃんと聞けている子が多かったことからは、子どもたちがふだんからp4cを通した対話活動に慣れていることがうかがわれた。「勇敢であること(being brave)」の定義を中心に進行した子どもたちの対話は、それ自体大変おもしろいものであったが、ここでは対話の具体的な中身には触れずに以下の三点を指摘するに留めておきたい。

 一点目は、p4cの活動を始める前に先生が中心となって小さなセレモニーが行われていたことである。まず、サークルの中の参加者全員が両手で頭を抱えて前屈みの姿勢になり、そこへ先生が指名した一人の生徒が空のじょうろを持って水をやるふりをしてサークルを回った。これは、哲学の種にじょうろで水をかけるという意味であり、この水をかけてもらうと哲学の芽が出るのだそうだ。次に、先生の「僕たちはいまから何を勉強するの?」という問いかけに合わせて、生徒たちは声をそろえて「フィ・ロ・ソ・フィー」と節をつけて答え、続く「僕たちはいまから何になるの?」という問いかけにも、同様に「フィ・ロ・ソ・ファー」と節をつけて答えた。このクラスでは、p4cを行う前にこのようなセレモニーを毎回行っているようであったが、こうしたことは―――低学年の子どもたちを飽きさせないためとか、興味を引きつけるためとかいった側面ももちろんあるのだろうが―――「哲学(フィロソフィー)」という言葉にまとわりついている「抽象的」「難解」といったイメージを払拭し、「哲学」という言葉を子どもたちの身近なものにするための工夫の一つであるように見受けられた。(それゆえ、特に低学年のクラスでこのようなセレモニーを行っていることに大きな意味があるように思われた。)

 二点目は、やはりp4cを始める前に、p4cを行う際のルールを先生が子どもたちに問いかけて確認していたことである。といっても、その多くは『ほかの子が話をしているときにおしゃべりしてはいけない』とか『話をしている子の邪魔をしていけない』といったような対話の基本的マナーに属することであったが、その最後に先生自身が「それでは今日は新しいルールを一つ追加しよう」と言って導入したルールが特に印象に残った。それは『参加者はお互いに尊敬し合わなければならない』というルールであり、これによって、ほかの子の発言を笑ったりすることが禁じられ、お互いに発言を促進し合いエンカレッジし合う空間を作ることが求められた。これはまさしく、ジャクソン博士が強調する「対話コミュニティの安全性(safety)」を創出するためのルールに他ならない。ハワイのp4cにおいては、こんなことを言ったら笑われるのではないかとか、変に思われるのではないかとかいった不安を取り除き、子どもたちが自分の考えを本当に自由に発言できる空間、「安全な対話空間」を作り上げることに非常に重きが置かれている。誰に気兼ねすることなく、自分の思ったことを本当に自由に口にできる環境が整ってはじめて、ある一つの哲学的問題を対話によってみんなで真剣に「探求(inquiry)」することができる―――この考え方は、ハワイでp4cに携わっている人々の間で共通して受け入れられている、いわばハワイ流p4cの基本テーゼなのである(そしてこのことは、われわれが親しい仲間たちと哲学的議論を戦わせるときのことを思い起こすと、実感を伴って納得できるかもしれない)。だからこそ、低学年のうちから(低学年だからこそ)このようなルールを対話の前に明示することは、本当の(哲学的)対話は相手の人格を尊重した上でしか成り立たないということを徹底的に刷り込むことの一環であるように思われた。そして、「お互いを尊敬し合う」というルールが遵守された「安全な空間」で対話を繰り返すことによって、子どもたちははじめて、単に「非難する」「悪口を言う」ということとはまったく異なる「他人の意見を批判する」という営為を学習できるようになるのかもしれない。

 最後の三点目も、いま述べた点と深く関係している。すなわち、この授業の最後に行われた自己評価で、対話コミュニティの安全性に関する質問が重点的に出されたことである。

・人の話を聞くときの私たちの態度はどうでしたか?
・私たちの対話への参加はどうでしたか?考えをみんなで共有していましたか?
・話題はどうでしたか?
・安心して対話を進められましたか?誰か笑ったりする人はいましたか?お互いに気持ちよく過ごせましたか?

とりわけ最後の「誰か笑ったりする人はいましたか?」「お互いに気持ちよく過ごせましたか?」という問いかけは印象に残った。これこそまさしく、新しく導入された『参加者はお互いに尊敬し合わなければならない』というルールに直接対応する問いかけに他ならない。また、このクラスのp4cでは、低学年であればこそ、対話の中身自体よりも対話に参加する態度の方に力点が置かれていたように思われた。実際このクラスでは、何人かの子どもが発言している生徒の話を聞かず、落ち着きなくきょろきょろしているようなことがあったのだが(2年生であることを考えると、クラスメイトの話に長時間集中しきれないのも無理からぬように思えるのだが)、先生はそういう子を見つけるたびに席替えを命じて自分の隣の席に座らせ、小声ながらたいへん怖い顔で注意を与えていた。発言者の話を聞かないということは、発言者の人格を尊重していないということであり、発言者が安心して話をするのを妨げる行為である。そのような態度を取ることは、たとえ低学年の生徒であろうとも、p4cにおける探求の共同体においては許されず、場合によっては対話への参加資格も奪われなければならない―――4年生のクラスでも見られたこの種の「厳しさ」から、ハワイにおけるp4cの最大の目標が「安全な対話空間の創出」であることを改めてうかがい知ることができた。(ちなみに、この時間のp4cでは、参加者の話を聞いていなかった生徒が複数名いたことから、「人の話を聞くときの私たちの態度はどうでしたか?」という問いかけに対する先生の自己評価は「悪い」であった。)

   
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