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子どものための哲学教育研究所  Japanese Institute of Philosophical Education for Children
 

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 目次

  第3回:ハワイp4cスタディーズツアー報告          土屋陽介(2010/6/14~)
  第2回:それでもロゴスの道徳教育は必用なのだ!     山田圭一(2009/9/3)
  第1回:韓国の哲学教育はすごいんです!          土屋陽介(2009/7/22)




  2010年6月14日
土屋陽介
 ハワイp4cスタディーズツアー報告(連載コラム) 
              

 2010年2月9日から2月15日にかけて、当研究所研究員の山田・村瀬・土屋の三名は、東京工業大学研究員の豊田光世氏のコーディネートのもと、ハワイのワイキキ小学校およびカイルア高校で行われている「子どものための哲学(philosophy for children)」(以下「p4c」と略記)の授業に参加する機会を得ました。

 p4cとは、子どもたち同士で哲学的な対話を行うための実践プログラムであり、西欧圏を中心に世界各国の学校で取り組まれている教育カリキュラムです。p4cの一般的な概要については、アメリカ合衆国ニュージャージー州のモンクレア州立大学内に設置されている「子どものための哲学推進研究所(Institute for the Advancement of Philosophy for Children, IAPC)」のウェブサイトで詳細な説明がなされているほか、日本語で読めるものとしては、大阪大学准教授の本間直樹氏による「こどもの哲学」のウェブサイトが参考になります。

 参考リンク:Institute for the Advancement of Philosophy for Children (英語)
        こどもの哲学

 本研究所でも、これまでp4cについては特に注目し、p4cのテキストを用いた授業案を開発したり(詳しくはこちら)、対話の方法論を哲学授業に取り入れたりといった試みを行ってきました。しかし、海外におけるp4cクラスの実際の授業風景は、文献やインターネット上の動画などで部分的に垣間見るのみでした。今回のスタディーズツアーでは、ハワイの一部の学校で正規のカリキュラムとして実施されているp4cのクラスを見学するのみならず、p4cのルールに則って子どもたちと一緒に哲学的対話を楽しむこともでき、また、p4cのクラスを日々行っていらっしゃる現場の先生方からたくさんの貴重なお話を伺うこともできました。これらの貴重な体験は、私たちの研究プロジェクトの推進にあたって非常に大きい糧となりました。

 今回のスタディーズツアーにあたっては、前述の豊田氏をはじめ、ハワイ大学を中心にp4cの普及振興活動を行っている「p4cハワイセンター」の多くの方々にご協力いただきました。その中でも特に、同センターの中心人物であるハワイ大学哲学部のトーマス・ジャクソン博士には、スタディーズツアーのほぼ全ての行程に同行していただいた上に、私たちの拙い英語による質疑にも丁寧にお答えいただき、大変お世話になりました。また、ワイキキ小学校のヴァレリー・バッツ教諭とマシュー・ローレンス教諭、カイルア高校のチャド・ミラー教諭とアンバー・マカイー教諭には、p4cの授業に参加させていただいたり質問に答えていただいたりしました。お世話になったすべての先生方、生徒のみなさん、関係者の方々への深い感謝の気持ちを込めて、ハワイp4cスタディーズツアーの報告を行いたいと思います。

 なお、ハワイの学校で実践されているp4cは、マシュー・リップマンが作成した教科書とカリキュラムに則る標準型のp4cとは方法論が異なっており、彼ら自身が「ハワイアン・スタイル」と呼ぶ独自の仕方で行われていることを明記しておきます。ハワイアンp4cの独自の理念と目標については、ジャクソン博士がウェブ上で公開している原稿“The Art and Craft of Gently Socratic Inquiry”の中で詳しく述べられているほか、2007年に行われたジャクソン博士に対するインタビュー動画も参考になります。

 参考リンク:The Art and Craft of Gently Socratic Inquiry (英語)
        Interview with Thomas Jackson, P4C Specialist (英語・動画)


   目次

    1    ワイキキ小学校におけるp4c授業
    1.1  4年生のクラスでのp4c
    1.2  6年生のクラスでのp4c
    1.3  2年生のクラスでのp4c
    1.4  ワイキキ小学校の先生方との意見交換会
    2    カイルア高校におけるp4c授業
    2.1  1年生と3年生のクラスでのp4c
    2.2  カイルア高校の先生方との意見交換会

                              [更新履歴]
               2010年6月14日:第1章第1節「4年生のクラスでのp4c」まで更新
               2010年6月23日:第1章第2節「6年生のクラスでのp4c」まで更新
               2010年7月18日:第1章第3節「2年生のクラスでのp4c」まで更新



  2009年9月3日
山田圭一 
 それでもロゴスの道徳教育は必要なのだ! 
 先日行われた第二回哲学教育研究会は、現場で道徳教育を実践している学校の先生や世田谷の「哲学」の先生、教育関係の財団の方々、教育学の研究者や哲学の研究者、大学の先生方などなど実に多彩なメンバーが揃って、お世辞抜きに大変有意義な会合となった(本当は生徒の側からの意見も聞いてみたかったので何人か声をかけていたのだが、予定が合わずに参加してもらえなかったのが残念であった)。そこで頂いた意見の一つ一つがわれわれにとってはとても新鮮で、どれもが貴重な反省材料となった。

 しかしながら、一つだけどうしても反論したい論点が私の中に燻り続けていた。それは、多くの方々からわれわれの実践は「哲学の授業ではあっても道徳の授業ではない」と指摘された点である。

 確かに、道徳教育を「生徒を、既存の道徳的枠組みにはめ込むこと」と規定するならば、哲学的な道徳教育はその規定から外れるがゆえに、道徳教育ではないということになるのであろう。しかしながら、このような道徳教育観のみで初中教育の道徳教育をカバーできるのであろうか。そして、カバーしてよいのだろうか。私はどちらの問いに対しても「否」と答えたいと思っている。

 まず、前者の問いに関して言うならば、私は子どもに対して最初に行われるべき道徳教育は理屈抜きの「刷り込み」であるべきだと考えている。「何がすべき」で「何をすべきでないか」という行動の規範は、初めはよき見本(exemplar)としての大人の行動を模倣することによって習得すべきだと思うし、このような道徳的な行動の基本形式からの逸脱は、ある程度は理屈によって説明は必要であるが、基本的には理屈抜きの「訓練(Abrichtung)」によって矯正されていくべきだと考えている。そして、このいわゆる「しつけ教育」の段階において、哲学者が他の大人に対して何らかのアドバンテージをもっているとは私も思わない。

 しかしながら、私の問題提起は「道徳教育がいつまでもこの段階に留まっていてもいいのか」という点にこそ存している。というのも、このような理屈ぬきの刷り込みに対して違和感を覚え、あらかじめ決められた道徳的枠組みに押し込まれることに対して抵抗を感じる時期というのがほとんどの子どもには訪れるはずだと私は思っているからである。それは、いわゆる「反抗期」と呼ばれる時期である。私自身は小学校の高学年ですでにこの段階に突入していて、道徳の授業において先生が誘導しようとしている既存の道徳的枠組みがあまりにも見え見えであるがゆえに、「そもそもなぜそのような枠組みに従わなければならないのか?」という疑問をぶつけたい衝動に駆られていた(しかしながら同時に、そのような発言が先生を困らせる「空気を読めない」発言であり、許容されない発言であるであろうこともまた理解していた)。

 もちろん、私のようなひねくれ者は学校では少数派なのかもしれない(ただ少なくとも私の塾のほとんどの生徒たちは私と同じようにひねくれ者である(笑))が、私が一番問題だと思うのは、現行の学校教育ではこのような問いを発することそのものを許さないような教育を「道徳教育」と呼び習わしているという点である。たとえば「なぜ法律(ルール)に従わなければならないのか」という問いは、「法律に従わなくてもよい」という可能性を想定することなしにはそもそも問いとして理解することができないはずである。しかしながら、現行の道徳教育ではこのような可能性に対してできる限り目を背けさせる方向で、いかにして法律に従う従順な子どもたちをつくるか、ということを目標にしているように思われる(せいぜい考えることが許されるのは「みんなが法律に従わなかったとしたら」という反実仮想程度であって、「法律に従わなくてもよい」という主張を正当化する理由を考えていくということまでは許容されていないのであろう)。そして私は、これはとても危険なことだと思う。というのは、このような可能性から目をそらすことによって先生や大人からの刷り込みや心情的な共感によって形成された道徳的規範は、容易に逆の方向に振れるからである。

 たとえばこのような子どもは、先生ではなく今度は偉大な宗教的指導者が別の方向の道徳規範を示したならば、簡単にそちらに乗ってしまうであろう。なぜならば、彼はそれまで自らの道徳的規範をそのような仕方で受け入れてきたのであるから。また、ある友人たちと付き合いによって彼らと心情的に共感していくにつれて、今までの道徳的規範と反対の規範に対して容易に馴化されてしまうであろう。なぜならば、彼はそれまで自らの道徳的規範をそのような仕方で受け入れてきたのであるから。

 われわれは、このような純粋培養の「いい人」が一挙にとんでもなく「悪い人」に転じるという事例をたくさん見てきた。自らの従っている道徳的規範を一度明示化した上で、それを徹底的にロゴスを用いて吟味した上で、納得して内化するというプロセスが必要だと私が考えるのは、上記のような盲目的な規範の受け入れ方がもつ危険性をかなりリアルなものとして感じているからに他ならない。もちろん、学校の先生は自分が教えている段階でいわゆる「道徳的な振る舞い」を示してくれているならば、たとえそれが盲目的な振る舞いであったとしても、安心できるのであろう。しかしながら、子どもたちが将来どのような規範を受け入れることになるのかまでを考慮に入れるならば、たとえ学校教育段階での「非道徳的な振る舞い」につながる可能性があったとしても(この蓋然性がどこまであるのか私には正直よくわからないのではあるが)、将来的な道徳的な振る舞いのための試行錯誤の機会として、ロゴスを用いて規範を内化していくプロセスを経験させるべきだと私は考える。先生は自分が教えている間だけ生徒に対して責任を負っているわけではなく、彼らの全人生に対して責任を負っているのであるから。

 もちろん、ロゴスによる正当化はどこかで岩盤に突き当たるのであって、「なぜ~をしなければならないのか?」という問いの終点では、無根拠な前提を持ち出さなくならざるをえないであろう。しかしながら、初めから無根拠な前提を押し付けることと、様々な考察の結果として最後に無根拠な前提に辿り着くことの間には、大きな違いがある。少なくとも後者の営みには、思考のプロセスが存在しており、その思考のプロセスの妥当性は他者との議論に対して開かれている。したがって、他者の議論の正しさに納得して自分のそれまでの道徳的規範を改訂していくことが可能なのであり、ロゴスによって自らの道徳的規範を再構成していくことが可能なのである。しかしながら、規範の盲目的な押し付けや共感による道徳形成の段階に留まっている限り、これは不可能である。そして、どちらの仕方で規範形成を行う方が、「将来的に見て」より望ましいかという点は明らかなのではないだろうか。

 それでも、あくまでも「寝た子を起こすな」理論によって盲目的な規範形成の段階に生徒を押しとどめようとするならば、学校という場はしばしば戯画化されるような国家に従順な国民を養成するための機関に成り下がってしまうであろう。学校という場所をそのような窮屈で危険な場所にしないためにも、「タブーなき自由な発言の場」を確保する哲学的な道徳教育の授業がやはり必要なのである。それでもロゴスの道徳教育は必用なのだ!
 
 

2009年7月22日
土屋陽介
 韓国の哲学教育はすごいんです! 

 韓国の哲学教育に関するおもしろい記事を見つけました。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2005051041828

 4年前の記事のようですが、すごい!の一言です。韓国は東アジア地域における「子どものための哲学」の最先進国ですが、それにしても、ここまでのことが行われているとは! 

 私は最近、公教育ではない民間の教育機関で哲学教育を行う可能性についてしばしば考えていたのですが、そういうときに漠然と念頭に置いていたイメージは、まさにこの記事のような感じでした。半分以上は夢物語として考えていただけだったのですが、それがまさかお隣の国で、こんなにちゃんとしたかたちで実現していたとは!
 記事によると、「哲学専門塾、首都圏に20ヵ所余り」だそうですが、日本国内の現状を思いみるに、これは俄には信じがたい数字です。こういう記事を読むと、私教育を通して哲学教育を行うという可能性も、今後取りうる「現実的な」路線の一つとして真剣に考察するに値するように思います。

 とはいえもちろん、韓国と日本では教育を取り巻く環境が違いますから、これをそのまま日本にもってきても直ちに成功するとはやはり思えません。 とりわけ、記事でも言及があるように、入試制度の影響は相当大きいのでしょう。ですが、同じ東アジア文化圏(非欧米圏)でもこれだけのことがやれている国があるというのは、やはり非常に勇気づけられる話です。

 本当にサステナブルかどうかはわからないとしても、とりあえず「子ども向けの民間の哲学塾」がビジネスモデルとして成立しているということ、そういうことが可能だということだけでも、私にとっては非常に新鮮な刺激になりました。
   
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